あなたにとって祖父母とはどんな存在ですか?

わたしの記憶

あなたにとって祖父母とはどんな存在ですか?

祖父母との青森での生活

私が2歳 別居→裁判→3歳で離婚。父母が離婚する前から、二人は別居し、幼い私は祖父母に預けられていた。まず、祖父母との生活がどんなものだったかをお話しします。

家は道路沿いにあり、青いトタンでできた木造2階建て。電気はつくが、ガスはあえて通さず、1階の居間に薪ストーブ。お風呂は様々な色がついた細かいタイルで真四角な湯船。シャワーはなく蛇口すらない。なによりトイレが悲惨で、ボットン便所の中を覗くとウジ虫がウジャウジャ蠢いていた。

生活のきまりごと

洗濯は週1回。お風呂の残り湯をバケツで汲んで使うこと。

お風呂も週1回。お風呂はガスや電気で沸かすものではなく、薪ストーブのような煙突があり、灯油に火をつけて沸かすタイプの物で、時間がかかるので2時間前には準備すること。

ストーブ等は、1階の薪ストーブのみ使用すること。

料理は薪ストーブの上で行うこと。

夜の19時前後に帰宅すること。

暖と料理と帰宅

青森の冬といえば、とにかくバカ寒い。この家では薪ストーブがある居間でしか、暖をとれないシステム。就寝前には、薪ストーブの火を完全に消される。祖父母は電気毛布を使っていたので、暖かい布団で寝ていたが、私にはなかった。火事になるといけないという理由からで、私がどんなに寒かろうと凍えて過ごそうとお構いなし。手足が凍え、いつも体を小さくして小刻みに足を動かしながら眠った。ご飯はどうしていたかというと、炊飯器があったのですごく助かった。しかし料理や顔を洗う湯さえ、薪ストーブ。極寒の中も、祖父母が起きる前に薪に火をつけ、湯を沸かし味噌汁を温めた。夜は玄関のカギを祖父が閉める前に帰らないと、朝まで開くことはなく家に入れなかった。

まぁこんな感じで、衛生面も生活レベルも、何時代の生活なんだろうと云わざる得ないものでした。

母親似

私は小さい頃から、祖父母に嫌われていた。それは母親に似ているということからだった。父方の祖父母だったため、母のことを憎んでいて、いつもいつも母の悪口を聞かされた。とても辛かったのを覚えています。まだ親に甘えたい盛りの私は、いつかきっと母が迎えに来てくれると信じて、なんとか保とうとしている心すら、悪口を聞かされる度にどうにかなりそうでした。当時を思い出しながら書いていますが、幼いその頃の私は、今も私の中にいて涙を流しています。

中学を出て自立するようになり、色んな方々と知り合い、心の内を話せる友ができました。14年そばにいてくれた愛猫のおかげで「愛する」ということを知ってからは

幼い頃に心の支えにして、生きてたはずの母も父も、もちろん祖父母も冷酷な人間だったんだなと思うようになりました。

強いられる仕事

小学生になると料理、掃除全般、お風呂の準備や祖父母の洗濯と、なんでもそつなくできる子に。当時祖父はヤミ米屋を営み、扱う商品は米、小豆、大豆、金時豆や色んな種類の穀物を揃えて売買。休日の天気が悪い日は、ヤミ米屋の仕事をさせられました。米や豆についた白いイモ虫のような虫や、欠けてしまった豆などを取り除き、売り物として出せるようにする内職のような仕事。

天気がいい日は、祖父に連れられ山に入る。なにをしに山に行くかというと、薪ストーブの木材を確保するためで、これが私の1番嫌いな仕事でした。祖父とリアカーを引き、山入るまでは普通に民家があり、同級生達にその姿を見られるのが恥ずかしかったからです。

帰りが特にイヤで、リアカーから、はみ出るほどの長い木を積めるだけ積んで帰らなければならず、ただでさえ重いのに坂道では大変でした。体が小さかった私は力が弱く、祖父に怒号を浴びせられながらリアカーを必死に押して。そんな姿を、休日に家族で楽しく出掛けた帰りであろう同級生達に、見られるのが本当に苦痛だった。

虐待と届かない声

私はこの家にいる間、祖父にかなりの虐待を受けました。ホウキの柄なんて生温く、薪ストーブの木や火箸、酒瓶などを使い殴られ、倒れたら足で腹を蹴り上げられ、踏み潰された。私はただ、それが終わるのを耐えるだけで泣く暇などなかった。大人しく静かに過ごす私を、なにがそんなに気に入らないのか理由もわからずに‥ただ必死に耐えるだけ。誰にも助けてと言えなかったし、云う人が居なかった‥

【子供に対する虐待の種類】身体的虐待・性的虐待・心理的虐待・ネグレクト

身体的虐待や性的虐待は、皆さん理解あると思いますが心理的虐待・ネグレクトとは何かを簡単に、ご説明します。

心理的虐待→言葉で脅したり、心を傷つける暴言、配偶者への暴力。

ネグレクト→食事を与えなかったり、不衛生な環境に置くこと。

皆さん、虐待の連鎖という言葉をご存知ですね? 虐待を受けた子供は、虐待をする大人になる確率が高いとニュースやワイドショーなどで、よく耳にすると思います。

私はこの言葉を聞くたびに、連鎖の子だと責められているように感じてしまいます。そんなこともあり、私は子供を産むつもりもなく、DNAを残す気もありません。

祖父や家族への憎悪、悲しみと苦しみ、DNAを残したくないと思ってしまった暴力だけではない、祖父から受けた仕打ち。

私には消したくても、消し去ることができないでいる過去の記憶がある‥

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